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牧瀬里穂の旦那NIGO、現在40億円の借金を抱え破産していた!自宅や愛車もすごかったのに落ちぶれたな…

1: 名無し募集中。。。 2013/06/18(火) 00:19:54.40 0 ID:
40億円超の負債を抱えたNIGO…裏原宿カリスマブランド“終焉物語”

 90年代初頭に原宿の片隅で産声を上げ、あっという間に若者中心の巨大なファッションビジネスとなった「裏原宿(裏原)系」という文化。しかし、00年代中盤に入るとその勢いは徐々に失速し、数多くのブランドがひっそりと姿を消していった。11年には裏原系最大のブランド、ア・ベイシング・エイプが香港を中心にセレクトショップを運営するアパレル企業ITに売却された。10年8月末の段階で、エイプを展開する株式会社ノーウェアでは約40億円の負債があったと公表されている。

13年2月には後発組だったブランド、スワッガー(デザイナーは、日本のヒップホップグループ・シャカゾンビのオオスミタケシ)を運営する会社が負債5億4700万円を抱え自己破産を申請。
こういった情勢を受けて、「裏原系はもう終わった」「今はファストファッションの時代」などとメディアでは騒がれているが、本当に裏原系は”終わった”のだろうか。

 後に「裏原系」と呼ばれる文化が始まったのは93年。ア・ベイシング・エイプのNIGOとアンダーカバーの高橋盾が共同でオープンした店、ノーウェアが裏原系ショップ群の先駆けだと言われている。この当時2人は22歳だった。この2人が藤原ヒロシから引き継いだ雑誌「宝島」(宝島社)の連載ページ「LAST ORGY 2」でステューシーなどの海外ブランドに混ぜて自分たちのブランドを紹介すると人気に火がつき始めた。

そこをきっかけに、95年にはネイバーフッド、バウンティハンター、ヘクティクなどのショップやブランドが次々に展開。これらのブランドは、賑わいのあった原宿駅前ではなく、当時、人通りの少なかった明治通りの東側にある裏路地に店を構えたため、「裏原系」と呼ばれて徐々に浸透していった。

「原宿にたむろする単なる若者たちがファッションデザイナーになれたのは、低価格化したMacの普及によるところが大きいと思います。それまでは大手アパレルメーカーでしかできなかったデザインが、Macとソフトさえあれば一般人でも可能になったんです。どの裏原ブランドも手始めに参入の簡単なTシャツのデザインから始め、資金を蓄えてほかのジャンルの商品展開を始めていったというわけです」(男性ファッション誌編集者・M氏)

 裏原系ブランドはTシャツ一枚で6000~1万円以上と、既存のブランドの商品に比べて高額で、なおかつ、数をあまり作らなかった。これは自主制作に近い生産体制であったことも理由だろう。

「ただし、その中には低価格で商品を販売した後発の裏原系ブランドに圧力をかけて、裏原系ブランドの高値を維持するなどの動きもあったようです。さらに各ブランドはコラボアイテムやダブルネーム(商品に2つのブランド名を併記して売り出す手法)といった限定商品も乱発しました。ファッション誌には数多く掲載されたものの、稀少性の高さゆえ若者の間で売買価格が高騰。店の前には開店前から長蛇の列ができ、商品が発売された瞬間に転売され、瞬く間に値段が釣り上がって行く現象が起こりました」(前出・M氏)

 レアな商品を手に入れるためにホームレスを雇って並ばせる転売業者が登場したり、ナナ・インターナショナルやラグタグなど裏原系のブランド古着を扱うショップも登場する中、最初のピークを迎えたのは97年。木村拓哉がア・ベイシング・エイプの迷彩柄スノボジャケットをオロナミンCのCMで着用し(スタイリストは中山美穂の元カレとして有名な野口強)、人気が爆発して一般に広く知られるようになったのだ。97~98年には第二世代とも呼ぶべき後発ブランドのリボルバー、スタイリストの熊谷隆志が手がけるGDCなどがスタートした。

どのブランドも商品を出せば完売する状態が続き、裏原系のデザイナーたちは手にした金を趣味や自由なライフスタイルに費やして雑誌で盛んに紹介。それがフィギュアや自転車などの新しい流行を産む、という図式が形成されていった。

http://www.premiumcyzo.com/modules/member/2013/06/post_4244/





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加藤浩次 田中美保に狂犬時代の暴言を土下座謝罪www 【6月15日めちゃイケ動画あり】

1: れいおφ ★ 2013/06/17(月) 19:14:21.69 ID:???0
15日放送のフジテレビ系バラエティ「めちゃ×2イケてるッ!」で、加藤浩次がモデル・田中美保への過去の暴言を謝罪した。

番組では「嫌われた人と仲直りスペシャル」と題し、大久保佳代子、ジャルジャルらが過去にわだかまりのあった人物たちと対面。
加藤が謝罪することになったのは11年前、33歳の時の出来事だ。

当時、フジテレビ系バラエティ「本能のハイキック!」で初のメイン司会に抜てきされた加藤は、業界内で「狂犬」と呼ばれており、共演者に過激な発言をしたり、モデルやアイドルに対しても暴力的な対応をすることで有名だった。

「本能のハイキック!」第1回のオープニングで事件は起こった。
初めてのバラエティ出演と生放送による緊張のため、ハキハキと話せない当時19歳の田中に対し、加藤は「『私だけは声を張らないわよ』的な感じ?」「なんでここにいるの?」
と厳しい発言を続けたのだ。田中の顔はみるみる凍りつき、共演者が「いやいや、(田中さんは)必要ですよ」とフォローするものの、そのまま番組は終了。

放送翌日、番組ディレクターが話を聞くと、田中は「本番中どうしていいかわからなくて、バラエティが怖くて仕方ないんです」と泣きながら本音を明かし、降板を申し入れたという。
結局、田中はレギュラーだったはずが、初回に出演しただけで降板することになった。

第2回の放送で田中の降板が報告されると、加藤は「なにを真に受けてんの、バカじゃねえの? 
モデルってさ」「バラエティのルールしらねえヤツがテレビに出るんじゃねえ、バカ野郎が」と田中に向けて罵声を浴びせる始末だった。
この放送を見た田中は、恐怖のあまり数年間はバラエティ番組に出演することが出来なかったという。

(続きは>>2以降)

http://news.livedoor.com/article/detail/7774416/


田中美保 加藤「お前、何でここにいるの?」
http://www.youtube.com/watch?v=x9UMwjy8kjM



34:20あたりから







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峯岸みなみ スキャンダル丸刈りからの復活、『AKB子兎道場』特集に批判「美談にするな!」【動画あり】

1: なまコンφ ★ 2013/06/17(月) 19:36:33.78 ID:???0
峯岸みなみ「丸刈りからの復活」特集 「美談にするな」「胸糞悪い」と反発の声

2013年6月14日の「AKB子兎道場」(テレビ東京系)で、AKB48選抜総選挙で18位となった峯岸みなみさん(20)の特集が放送された。

丸刈りにした後、総選挙までの峯岸さんの軌跡をまとめたものだったが、元はと言えば騒動は峯岸さんのスキャンダル報道が原因、丸刈りも大いに批判されていた。視聴者からは「美談に仕立てるのか!」といった冷めた見方も出ている。

「直後は本当に真っ暗」「毎日理由もなく泣いていた」

番組は「一連の騒動から総選挙までの128日間、峯岸さんがどのような思いで過ごしてきたのか」に焦点を当てたドキュメンタリーで、自身のナレーションで進められた。

13年1月31日に報道された「お泊まりスキャンダル」が発端となった騒動について、「一部週刊誌に私の記事が掲載。私は、ファンへの謝罪の思いで頭を丸めた。しかしこのことがさらに世間を騒がせることとなった」とまとめた。

当時の状況について、「直後は本当に真っ暗。活動も制限していてずっと家の中にいて、みんなの活躍をずっと家で見てた。本当はあそこにいれたのかもなと思ったりすると、どうしても『このままで大丈夫かな』と」「毎日、理由もなく泣いたりしてました」と振り返る。

そんな暗い日々の支えになったのは「いつも一緒にいたメンバーたち」で、毎日メールや電話で連絡を取ったという。総選挙で1位になった指原莉乃さんについて、「家で1人でパニックになった時に電話した。雨が降ってきただけでも不安な気持ちになって、涙が止まらないって言ったら『全然いいこと言うつもりじゃないんだけど、雨はいつか止むし!』とか言ってくれて」と笑って懐かしんでいた。

立候補制となった13年の総選挙で、峯岸さんは「元通りは無理だけど、自分の中でリセットになればいい」という気持ちで受付最終日の4月7日に立候補した。

最終結果は18位。「自分の中ではすごく晴れやかな気持ちで一歩を踏み出せた」と、吹っ切れた様子を見せていた。
(>>2以降へ)
http://www.j-cast.com/2013/06/16177355.html


番組の模様
http://www.youtube.com/watch?v=hCv_CQnoHVg


峯岸みなみ スキャンダル丸刈りからの復活、『AKB子兎道場』特集に批判「美談にするな!」【動画あり】



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