ニュースジャングル


白井聡氏…「敗戦を直視せず、米国に従属して享受してきた“スネ夫の平和”は終わる。在日コリアン排斥も“敗戦の否認”の表れ」

1 :諸星カーくんφ ★:2014/01/01(水) 21:27:44.88 ID:???
ソース(カナロコ) http://news.kanaloco.jp/localnews/article/1312310019/
写真=白井聡さん



 敗戦を直視せず、米国に従属し、戦後日本は平和と繁栄を享受してきた。その時代が本当に終わりつつある。これまでの物語に
しがみついて生きるのか。それともまだ見ぬ世界に踏み出すのか。社会思想・政治学者の白井聡さん(36)は、私たちの覚悟を
問うている。

 ■「終戦」の意味

 戦後、日本人は敗戦を実感せずに生きてきた。もちろん1945年8月の段階では、そこら中が焼け野原で、負けは誰の目にも明らか
でしたが、復興し、経済成長を遂げた。V字回復です。

 70年代以降、戦勝国であるソ連や中国と比べて生活水準にはっきりと差が出て、どちらが敗戦国か分からなくなった。むしろ「負けて
よかった」という意識を日本人は持ち続けてきたのではないでしょうか。

 そのとき、日本の支配層が引いておいた「伏線」が見事に生きてきた。

 8月15日は「敗戦の日」ではなく「終戦の日」です。なぜこの日か。連合国に対してポツダム宣言を受け入れると通知した14日でも、
ミズーリ号の上で降伏文書にサインした9月2日でもよかったのに。

 終戦の日は用意周到に誘導されたのです。8月15日は、死者が帰ってくるお盆に当たる。普通の死者と戦争の死者を一緒にして、
戦争が天災のようなものになった。開戦の判断や降伏のタイミングなど、もっと合理的な政治判断があれば避けられた犠牲があいまい
にされた。

 玉音放送だってそう。「降伏」とか「敗戦」といった言葉が出てこない。玉音放送で国家による「敗戦のごまかしプロジェクト」は始まり、
経済成長によって完成した。

 では、なぜ敗戦を否認してきたか。戦前の指導者層の権力を戦後も温存するためです。

 普通に考えれば、「なんでまたあいつらが偉そうな顔をしているんだ」という話。でも、そもそも負けていないなら誰も責任を取る必要
はない。

 敗戦の否認を可能にしたのは冷戦構造です。米国としては、日本が社会主義陣営に走らないよう、豊かになってもらわなければ
ならなかった。

 米国にべったりと従属して冷戦の最前線を台湾や朝鮮半島に押しつけ、日本は平和と繁栄を享受してきた。この戦後のレジーム
(体制)を僕は「永続敗戦」と呼んでいます。

 ■歴史認識映す

 冷戦が終わってこのレジームは崩れたはずでした。でもしがみついてきた。

 平和と繁栄の時代が本当に終わったと社会が実感したのは東日本大震災のときです。あの光景を見れば納得できる。

 特に原発事故は大きい。日本のエリート層に対する社会の信頼が揺らいだ。優秀と思われてきた官僚機構が実は相当にスカスカ
だった。素人向けについた「安全神話」といううそに、彼ら自身がだまされていた。ここまでずさんで、うかつな人たちだったなんて、
それこそ「想定外」です。

 それでも敗戦の否認は今も続いています。在日コリアンの排斥を主張するヘイトスピーチ(差別的憎悪表現)にも、明瞭に表れている。

 大日本帝国においては朝鮮人は二級市民扱いされ、半ば公然と差別していい対象だった。敗戦の結果、同等の基本的人権を持つ
存在として尊重することになった。

 それを、現実に差別的発言をすることで「本当は負けてない」という気分になれる。敗戦を認めずに済む。

 怖いのは、現に声高に叫ぶ彼らは少数者だが、実はマジョリティーということ。だって戦後の日本人は敗戦を否認してきたじゃない
ですか。その歴史意識を非常に極端に煮詰めた、僕たちの自画像なんです。

>>2以降に続く)



続きを読む

「うまい魚食べさしちゃる。それが浜のかあちゃんの誇り」…ポーポー焼きにつみれ汁、名物料理で海守る、福島県漁協・久保木さん

1 :諸星カーくんφ ★:2014/01/01(水) 20:36:40.15 ID:???
ソース(毎日新聞) http://mainichi.jp/select/news/20140101k0000m040155000c.html?inb=ra
写真=久保木幸子さん


写真=サンマのポーポー焼き(手前左)とつみれ汁(同右)を作って笑顔の久保木さん



 秋から冬、根室から房総へと太平洋を南下するサンマ。「浜のかあちゃん」が、潮目の海と呼ばれる常磐(じょうばん)沖で揚がった
サンマの皮を剥いで豪快に刻む。ネギやトウガラシと一緒に丸めてフライパンで焼く「ポーポー焼き」だ。三枚に下ろしてぶつ切りにし、
みそとショウガ汁で味を調えた「つみれ汁」も。温かいご飯と食べると、潮風の香りが五臓六腑(ろっぷ)に染みわたった。

 作り手は久保木幸子さん(68)。福島県有数の港町・いわき市久之浜町で底引き網船主の家に生まれた。7人きょうだいの6番目。
小学3年で母を、4年で父を亡くし、長兄と長姉が親代わりだった。自分の家の船が「いつも(水揚げ)番付トップだった」のが自慢。
長兄の船で修業していた夫正一さん(68)に見初められ、1967年、市内に嫁いだ。

 午前2時には男たちを港から送り出し、子どもたちの朝食を作るのが日課だった。翌早朝、正一さんらが取った「常磐物」を車で
小名浜の市場へ。「ゆきちゃんとこの魚は最高だっぺ」と仲買人や漁協関係者が絶賛し、良い値を付けるのには極意がある。
「選別は1人でやる。例えばイカなら耳を丸め、足を底に入れる。魚はサイズごとに箱に並べておく。そうすっと値段が全然違う」

 2003年にいわき市漁協女性部長、09年には県漁協女性部連絡協議会長に推され、県内の漁家の女性約550人を束ねた。
海岸清掃やお年寄りの見守りに加え、年20回の料理講習会で魚食普及を図った。ポーポー焼きやつみれ汁が一般家庭の食卓に
のぼるようになったのもこんな努力があったから。そんな時、東日本大震災と東京電力福島第1原発事故に見舞われた。

 孫の瑠佑(りゅう)さん(18)の中学の卒業式で休漁した2011年3月11日、家族5人で津波から逃れ、内陸部の親類宅に避難した。
自宅は半壊したが、翌朝、諦めていた正一さんの愛船「昭政丸」(12トン)は沖合200メートル付近で奇跡的に見つかった。ブリッジ
(船橋)は砂まみれ、かじは利かず、エンジンも回らない。それでも正一さんは「海の神さまが守ってくれた」と喜び、長男の克洋さん
(45)と共に放射能への不安を抱えながらモニタリング調査用の魚やがれきを取り続けた。

 久保木さんの故郷・久之浜、同県北部の浪江町や相馬市などで多くの知り合いが津波にのまれた。自宅や料理宿を流され、遠く
中通りの仮設住宅に移った仲間もいる。久保木さんは「散り散りになった漁家の女性の交流の場を」と、新たに魚料理指導者講習会
や親睦会を企画。全国各地を飛び回り、併せて福島の窮状を訴える生活が始まった。

 昨年10月、いわき市沖で原発事故後初めての試験操業が行われ、常磐物が市場に並んだ。「ヤナギダコはゆでると最高。冬は
キアンコウの鍋や子持ちのヤナギガレイの干したの。家族みんなが笑顔になる」。久保木さんの口元が緩んだ。

 後を継ごうと県内唯一の海洋科がある県立いわき海星高に進んだ瑠佑さんは今春、東京の専門学校に進学予定。汚染水漏れなど
不安は尽きないが、久保木さんは「試験操業の先にしか本操業再開はない。子や孫に常磐のおいしい魚を食べさしちゃる。それが
『浜のかあちゃん』の誇り」と語り、浜や市場、県内外でのイベントに駆け回る。古里の海を守るために。

>>2以降に続く)



続きを読む

客室乗務員への暴力など乗客による旅客機内の迷惑行為が急増 1200便に1件の割合で発生 条約改定で対応強化へ

1 :うっしぃじま悪い肉φ ★:2014/01/01(水) 07:42:06.24 ID:???
★旅客機内の迷惑行為急増 条約改定で対応強化へ

 客室乗務員への暴力など乗客による旅客機内の迷惑行為が急増し、航空業界を悩ませている。
国際航空運送協会(IATA)によると、2011年の件数は調査を始めた07年の8倍以上に。
こうした乗客の裁判を航空機の到着国・地域でも行えるよう条約を改定し、
対応を強化するための国際会議が来年3月に開かれる見通しだ。

 IATAの調査によると、機内での迷惑行為は11年、世界全体で1200便に1件の割合で発生。
08〜11年に計約1万5000件の迷惑行為が報告されたが、実際はさらに多いとみられる。

 IATAは09年から到着先の国・地域にも裁判権を与えるよう条約改定を提案。来年3年の会議で、
条約改定を目指し各国が議論する。IATAの広報担当者は「対応強化で迷惑行為の防止を図りたい」としている。(共同)

産経新聞 http://sankei.jp.msn.com/economy/news/131230/biz13123017370006-n1.htm



続きを読む
記事検索